デイリーディボーション 12月12日(火)

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デイリーディボーション 12月12日(火)

2023年12月12日(火)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 4:16-17 16ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。17そのために、私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。
【ポイント】 ①パウロの「キリスト・イエスにある私の生き方」について真剣に考える これまでにもライフチャーチでは、私たちクリスチャンの「思考停止」の問題について繰り返し触れてきています。この問題は、クリスチャンだけでなく、多くの宗教と呼ばれるものの中にも見ることができます。多くのクリスチャンは自分の育った教会で行われている事、そこに集う人々の生き方が「キリスト・イエスにある生き方」であると、あまり深く考えることなく受け入れています。日本の仏教や神道でも同じです。自分の生まれ育った家で行われている仏教、神道関連の習慣、風習について深く考えた上で行っているひとは非常に稀だと思います。おそらく、このような土壌で育った日本人はクリスチャンになった後も「深く考えない」または「先達に従っていれば良い」という思考停止の習慣が抜けないのでしょう。または、伝統や習慣を守ることが宗教の優先事項だと信じ込んでいる場合もあると思いますが、これも別の意味での思考停止ということができるでしょう。
ですから、今日のパウロの「キリスト・イエスにある私の生き方」ということばを聞いても、聖書のみことばから「キリスト・イエスにある生き方」は、すでに教会の中で共有されている「クリスチャン的な生き方」に頭の中で自動的にすり替えられてしまうのです。しかし、これでは聖書のみことばを読んでいることにはならず、それぞれの教会、教団、教派の中で共有されている宗教的な考え方をなぞっているだけになってしまうのです。
例えば、これから迎えようとしているクリスマスなどはその最たる例です。現代のクリスチャンが知っているクリスマスやその持ち方は、パウロの「キリスト・イエスにある私の生き方」には一切含まれないものです。多くの教会で「クリスマス」が祝われている姿をパウロが見たとしたら、パウロは違和感以外の何ものも感じないでしょうし、恐らく怒りすら覚えることでしょう。クリスチャンである私たちが、パウロのこの感覚を共有できないとしたら、それが「思考停止」に陥っている証拠だということもできるでしょう。
繰り返しお話していますが、私は過去のクリスチャンが作り上げて生きたクリスマスという習慣、伝統、文化、雰囲気が大好きです。しかし、その感覚は、例えば、海外や日本の文化や伝統芸能をみて素晴らしいと感じるものと同じです。ですから、民衆の文化、伝統としてのクリスマスを否定することはありませんが、聖書の学びを深める中で、クリスマスが自分のキリスト・イエスにある生き方に必要なものだとは一切感じないようになりました。
また、クリスマスは私たちクリスチャンが思考停止に陥っていることに気が付く絶好のチャンスだと考えるようにもなりました。かつて私も思考停止状態の中で、クリスマス前に教会の装飾を行ったり、クリスマスの劇の練習をしたり、欧米の教会で行われているクリスマスの真似をすることが、日本の教会が本場の教会に近づくために必要だというような感覚を持っていたことをはっきりと覚えています。クリスマスは、自分の思考停止状態を思い出させ、イエス・キリストの福音によって生きて行く喜び、つまり、本当の意味で神様の愛と恵みの中に歩んでいく喜びを確認することができる機会となっているのです。
刷り込まれてきたキリスト教という宗教の常識、先入観を一度脇に置き、パウロが命懸けで伝えようとした福音、そして「キリスト・イエスにある私の生き方」について、思考をしっかりと働かせ、追求する歩みを共にしていきましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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