デイリーディボーション 12月14日(木)

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デイリーディボーション 12月14日(木)

2017年12月14日(木)

【通読】
マタイの福音書 28:16-17
16しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。17そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。

【ポイント】
①「ある者は疑った」
4福音書を読み比べてみると、イエス様の復活の直後の記述が少しずつ違っていることが分かります。しかし、共通している点は、弟子たちの中にイエス様の復活の事実を信じようとしない人がいたということです。マタイの福音書では、空の墓の目撃者は女性たちのみで、すべての弟子たちにとって復活のイエス様に会うのは、このガリラヤ地方の山の上という設定になっています。聖書の記述が大変生き生きとしているので、私たちは聖書が古代の書物であることを忘れてしまうことがあります。しかし、実際には、福音書は2000年前に、その当時の「伝記」「記録」の書き方の常識に則って書かれたものであり、その書き方は時系列、出来事の詳細を正確に記録することが要求される現代の「伝記」などとは違う部分があるのです。

確かに、4福音書の記述に違いがあるのですが、反対に、それらを比較したときに共通点があれば、その共通点については事実であったと推察することができます。復活の後の出来事についての共通点は、復活のイエス様に直接会っていた女性たちとは違い、男性の弟子たちの中にイエス様の復活の事実をなかなか受け入れられない人いたということです。ルカの福音書ではエマオに向う二人の弟子たちのエピソード、ヨハネの福音書にはトマスのエピソードが載せられています。それらのエピソードのポイントはルカ24章25-26節に記されているイエス様のことばに見ることができます。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。26キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」

このように、イエス様の復活、昇天の時点では、弟子たちの中には、旧約聖書にもはっきりと記されているイエス様の十字架、復活の意味を理解できていない人たちがいたわけです。しかし、その後、この状態が一変する出来事が起こります。それは、使徒の働きの2章に記されているペンテコステ(聖霊降臨)のという出来事です。聖霊降臨の不思議な現象ばかりに注目してしまうクリスチャンが多いと思いますが、本当に大切なことは、弟子たちが、イエス様が旧約聖書の預言を成就されたということに初めて理解したということです。ルカ24章25節では旧約聖書を理解できない「愚かなひとたち」「心の鈍い人たち」と言われていた弟子たちが、聖霊が与えられることによってイエス様のミニストリ、苦難、十字架、復活の出来事と旧約聖書の預言が初めて結びついたのです。聖霊が与えられた直後のペテロの説教(使徒2:14-40)の内容を見るとよく分かると思います。

ですから、「弟子たちの疑い」の様子が記録されていることはとても重要なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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