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2020年12月16日(水)
ペテロの手紙第一 2:4 4主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
【ポイント】 ①主のもとに来る 日曜日の礼拝でも動詞の「命令形」についてお話しましたが、今日の「主のもとに来なさい」という部分も、ギリシャ語では命令形で書かれているものではありません。英語の聖書では「主のもとに来なさい」と命令形で訳されているものと、「主のもとに来るとき(来ながら)」と訳されている聖書に分かれます。
確かに、非常に強い意味での命令として書かれているわけではないのですが、ペテロは私たちが「主のもとに来る」ことを当然の前提として語っているわけなので、「自分は主のもとに行く状態にないな」と感じている人にとっては、命令と同じような意味合いとして聞こえることでしょう。さらに、ここでは「主のもとに来る」ときに「霊の家に築き上げられる」(5節)という、一つの霊的な真理(神様の御心)を語っているわけですから、キリストを愛する私たちが、その真理(御心)を自分への命令として受け取ることは、ある意味当然と言えます。
それでは、あなたにとってはどうでしょうか。「主のもとに行くこと」が当然のことになっているでしょうか。私たちの心を常にキリストに向け、キリストの愛、いつくしみを日々味わう生活ができているでしょうか。すべてのクリスチャンが、そのような歩みが良いことを知っています。しかし、ここでペテロがメッセージを発信している理由は、彼が多くのクリスチャンが「主のもとへ行くこと」をやめてしまっていることにあるのだと思われます。つまり、この世には常に私たちをキリストのもとから遠ざけようとする誘惑(力)が働いているということなのです。ですから、「主のもとに行くこと」に問題を感じている人がいたとしたら、それはこの世での当然のことなのです。
そこで、ペテロは、私たちが主のもと来た時に、どのように素晴らしいことが起こるのかを続く箇所で示してくれているのです。続けて「主のもとにくる」ときにどのような祝福が待っているのかを学んで行きましょう。
ライフチャーチ 大谷信道