デイリーディボーション 12月17日(金)

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デイリーディボーション 12月17日(金)

2021年12月17日(金)
マタイの福音書 15:26-28 26すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。27しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」28そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
【ポイント】 ①イエス様の目的を知る イエス様はこの異邦人に純粋な信仰を見出されました。それは、多くの人が理解しているような「必ず癒されるという確信」だけではありません。
異邦人が自分を「小犬」と呼んでいる部分に注目してみましょう。日本には、悪人の代名詞として「犬畜生」という言葉があるように、聖書の世界でも、「この貪欲な犬どもは、足ることを知らない。」(イザヤ56:11)、「聖なるものを犬に与えてはいけません。」(マタイ7:6)、「どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。」(ピリピ3:2)、「彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」とかいう、ことわざどおりです。」(2ペテロ2:22)、「犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。」(黙示録22:15)など、罪深い者、汚れた者のたとえとして用いられています。つまり、イエス様から「小犬」と呼ばれた異邦人は、それに腹を立てることなく、むしろ「あなたがたの神は小犬(罪人)をもあわれむ方ではありませんか!」と告白したわけです。それは、イエス様の「12医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」(マタイ9:12)というみことばと合致しますね。
自分が病人(罪人)であるという自覚がなければ、純粋に医者(救い主)を求めることはありませんし、イエス様が病人(罪人)をも救ってくださるという信仰がなければ、イエス様に助けを求めることもなかったのです。
ヨハネ9:39-41 39そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」40パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」41イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
ライフチャーチ 大谷信道


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