デイリーディボーション 12月21日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 12月21日(金)

2018年12月21日(金)
コリント人への手紙 第2 9:10-12 10蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。11あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。12なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。
【ポイント】 ①「神は喜んで与える人を愛してくださいます」 今日の箇所も、6節の「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」という農業の原理原則が、信仰においても真理であるという説明の続きです。例えば、小麦栽培で考えてみましょう。より多くの収穫を計画するのであれば、より多くの種を準備する必要があります。一時的な利益を得るために種として取っておく量を減らせば、次の年の収穫量が減ってしまいます。しかし、惜しまずに、より多くの種を取り置く人は、次の年により多くの収穫を得ることができるのです。「豊かに蒔く」とは、より多くの犠牲を払うということでもあるのです。
しかし、現代に生きる日本人には、パウロのたとえの本当の意味がわかりにくいと思います。中世ヨーロッパでは麦の収穫率は3~4だったと説明されています。つまり、麦の種を10キロ蒔いたら、30~40キロの麦が収穫できるということです。現代の日本での稲作の収穫率は100を超えるそうです。つまり、10キロの種籾から1,000キロのお米が収穫できるのです。(その代り、稲作の場合は苗を育てたり、水田の整備、田植えなどで多大なコストがかかっています。)1世紀の農業技術が中世と同等だとしても、前年と同じ収穫を維持するためには、収穫した麦の4分の1~3分の1を種として取っておく必要があるのです。より多くの収穫を得るためには、それ以上の種を蒔く必要があるわけです。
少ししか蒔かずに豊かな刈り取りを期待している人はいないでしょうか。つまり、神様に喜びながら多くを捧げていくことをせずに、つまり神様を愛することなしに、神様からの祝福だけを期待していることはないでしょうか。蒔く種をケチり、収穫量が減っていくというマイナスのスパイラルではなく、思い切って蒔き、より多くの収穫を得るというプラス(祝福)の連鎖を体験しましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info