デイリーディボーション 12月23日(金)

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デイリーディボーション 12月23日(金)

2022年12月23日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 8章14-17節 14神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。17もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります
①神の子として生きる 14節の「神の御霊に導かれる人は、誰でも神の子どもです。」ということばに注目しましょう。これを読んだ多くの人は「神の御霊に導かれて生きるべきだ!」という適用を思いつくことでしょう。しかし、私は「神の子どもです」という箇所こそ掘り下げるべきポイントだと思っています。「神の子ども」とは、特別な聖霊体験(宗教体験)をした人や、儀式を受けた人につけられる称号ではありません。単純に、天の父と愛の関係を保っていることを意味しています。ですから、実際に起こる順番は「天の父との愛の関係が築かれる」→「神の御霊に導かれる生活がはじまる」となるはずです。そして、この逆はないのです。
ですから、私たちが本当に考えるべきポイントは「神の御霊に導かれているか否か?」ではありません。「天の父と愛の関係の中に生きているか?」というポイントこそが重要なのです。そして天の父と愛の関係の中に生きている人は、自分が聖霊の導きに従っているかどうかを不安に思う必要はないのです。
なぜ、このようなことを確認するかというと、クリスチャンの中に自分が聖霊の導きに従っているのか(自分は聖霊に満たされているのか)などについて不安に思う人がたくさんいるからです。そして、その不安に「どうしたら聖霊の導きに従えるのか」「どうしたら聖霊に満たされた歩みができるのか」という、私からすると見当違いなアプローチをしてしまっている牧師(教派)が少なくないのです。しかし、私たちの歩むべき道、順番は、先に述べた通り「天の父との愛の関係が築かれる」→「神の御霊に導かれる生活がはじまる」なのです。ですから、本当に心配するべきは、天の父との愛の関係であり、天の父との愛の関係が深められて行けば、意識しようがしまいが、自覚があろうかなかろうが、神の御霊に従って生きていることになるのです。
ですから、天の父との愛の関係「神の子どもとしての歩み」が抜け落ちた中で語られる「神の御霊に導かれる生活」についての教えは、ほぼ無意味だということに、気が付く必要があるのです。そして、繰り返しになりますが、天の父との愛の関係の中に歩んでいる人は、「聖霊に導かれているか否か」について何も心配することはないのです。
そもそも、「天の父=神の御霊=御子」なわけですから、聖霊だけが独り歩きしているような教えは聖書的ではないのです。また、「神の御霊に導かれる」とは「天の父に導かれる」「イエス・キリストに導かれる」と同じ意味なのです。その具体的な導きは聖書にはっきりと記されていますね。イエス様は具体的にどのような導きをされていましたか?
マタイの福音書 22章36-40節 36「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
ライフチャーチ 大谷信道


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