デイリーディボーション 12月25日(火)

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デイリーディボーション 12月25日(火)

2018年12月25日(火)
コリント人への手紙 第2 10:2-6 2しかし、私は、あなたがたのところに行くときには、私たちを肉に従って歩んでいるかのように考える人々に対して勇敢にふるまおうと思っているその確信によって、強気にふるまうことがなくて済むように願っています。3私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。4私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。5私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、6また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。
【ポイント】 ①厳しく言われなくても… 1節の「さて、私パウロは、キリストの柔和と寛容をもって、あなたがたにお勧めします。私は、あなたがたの間にいて、面と向かっているときはおとなしく、離れているあなたがたに対しては強気な者です。」、10節の「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」という箇所は、パウロの普段の態度を知る上で大変重要な資料だと思います。
これらの箇所から分かることは、パウロは決して高圧的な態度、使徒としての権威を振りかざすような態度を用いることはしなかったということです。つまり、パウロは決して偉そうな人でも、威張った人でもなかったということです。この態度は、私たち牧師をはじめ、すべてのクリスチャンが見習うべき姿です。さらに、1節を見ると、パウロがその態度は「キリストの柔和と寛容」から来ていると証ししていることが分かるのです。
しかし、残念なことに、パウロの柔和さ、寛容さをいいことに、パウロの教えに従おうとしない人々がコリント教会に中にいました。高圧的なリーダーシップによってしか動けない人々、怖く言われなければ態度を変えない人々が大勢いたということです。ここにコリント教会の不健全さの一端を見ることができるのです。
コリント教会の不健全さは決して他人事ではありません。私たちは、イエス様の柔和さと寛容さに甘えていることはないでしょうか。恐怖ではなく、イエス様の愛と恵みに動かされ、喜びの中で主に仕えていこうではありませんか!
ライフチャーチ 大谷信道


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