デイリーディボーション 12月27日(木)

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デイリーディボーション 12月27日(木)

2018年12月27日(木)
コリント人への手紙 第2 10:12-13 12私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。13私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。
【ポイント】 ①成熟したクリスチャンの印 パウロは自分自身の信仰姿勢について説明していますが、同時に、成熟したクリスチャンと未熟なクリスチャンの見分け方について教えています。まず、未熟なクリスチャン(または不誠実なクリスチャン)は「自己推薦する者」であることが分かります。新興宗教の教祖をイメージしてみると分かりますね。様々な演出(荘厳な建物や内装、崇高そうに見える服装、口調、身振り手振り)を用いて、自分自身を実際よりもよく見せたり、大きく見せたりするものです。しかし、成熟したクリスチャン(誠実なクリスチャン)は決してそのようなことをしません。偉大な使徒パウロでさえも、反対者からは「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」と言われていました。このパウロの姿こそ、彼が成熟し、誠実なクリスチャンであったことの証明なのです。
さらに、パウロは未熟なクリスチャン(不誠実なクリスチャン)は、同じグループの中でさえ、互いに競いあたり、比較し合ったりしていると指摘しています。おそらく、リーダーたちが覇権争いをしていたのでしょう。パウロはローマ人への手紙13章で「10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」と教えていますし、そもそも、イエス様がマタイ23章で「11あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。12だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」と教えられている通りなのです。
この世では人々は「カリスマ性」のあるリーダーが好きです。教会も決して例外ではありません。しかし、パウロ、そしてイエス様も決してそのような態度、雰囲気を出していなかったことを忘れてはなりません。
「2彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。3彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ53章)
ライフチャーチ 大谷信道


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