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2020年12月28日(月)
ペテロの手紙第一 3:1-2 1同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。2それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。
【ポイント】 ①「服従」ということばが気になる人は・・・ 恐らく、クリスチャンで良い夫婦関係を築ている夫婦が「妻は夫に服従しなさい」「夫は妻に服従しなさい」という命令を聞いたとしても、つまずきや違和感を覚える人はほとんどいないことでしょう。なぜなら「妻が夫愛すること」「夫が妻を愛すること」は相手から強要されたものでも、自分で自分に課した義務でもなく、神様からの命令だからです。つまり、私たちが本当の意味で服従しているのは人間(配偶者)ではなく、神様だということです。
この時に、私たちが思い出すべきなのは「8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)というみことばでしょう。ここで考えなければならないポイントは「服従する」と「愛する」ということばのどちらが強い意味を持っているのかと言うことです。それは、言うまでもなく「愛する」です。イエス様は愛について次のように教えられました。「13人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)相手を愛するという行為の究極は相手のために命を捨てることだとしたら、配偶者に服従するという行為は、ずっと簡単な愛の実践だと思いませんか。イエス様が命を捨てるほど自分を愛してくださり、その愛を受けているのに、「夫(妻)のことは愛しているけれど、服従までは・・・」と考えているとしたらどうでしょうか。
イエス様の愛について真剣に学び、自分の受けている愛の大きさを知ったとしたら、「自分の夫に服従しなさい。」ということばに違和感を覚える女性はいなくなるでしょうし、自己中心な思いからこの命令を利用するような男性もいなくなることでしょう。ことばの表面的な意味やいびきに惑わされず、神様の御心(ここでは神様が望まれている夫婦関係)を正確に理解してみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道