デイリーディボーション 12月29日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 12月29日(土)

2018年12月29日(土)
コリント人への手紙 第2 11:1-2 1私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。2というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
【ポイント】 ①パウロの熱心さ理解する パウロは傍若無人な熱心さで開拓伝道や教会形成に取り組んでいたわけではありません。今日の箇所からパウロは冷静にコリント教会の人々の考え方を把握し、しっかりと「空気」を読んでいたことが分かります。パウロは自分の熱心さがコリント教会の中のある人々には「愚かさ」として映っていることをちゃんと知っていました。盲目的に自分の正しさを人々に押し付けているのではなく、自分のメッセージによって心を痛める人、つまずいてしまう人がいるであることを知りながら、父親が娘を花婿へと送り出すような思いで、コリント教会のメンバーを育て、導びいているのです。
また、パウロは、自分がある人々の問題を指摘することによってコリント教会の中に混乱を招くことを知りながら、従順なクリスチャンたちがこの混乱に耐え、教会が健全になるための産みの苦しみを「こらえて」くれていることに感謝を表しています。この協力なしに、パウロがコリント教会に関わり続けることが不可能だったのです。
②神様の熱心さは、時として痛みを生じさせる パウロの熱心さは神様によってだけでなく、コリント教会の中にいる神様の御心に忠実な人々によっても支えられていたのです。現代の教会でも、教会内での混乱を避けるために、「博愛精神」という大義名分のもとに、さまざまな問題を見て見ぬふりをしていることがあるのではないでしょうか。もちろん、なんでも白黒をはっきりさせれば良いというものではありません。しかし、教会が健全になるためには、時として、牧師と信徒が共に痛みを「こらえ」つつ協力する必要があることが、パウロのコリント教会への関わり方から分かりますね。
ライフチャーチ 大谷信道


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