デイリーディボーション 12月4日(月)

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デイリーディボーション 12月4日(月)

2017年12月4日(月)

【通読】
マタイの福音書 27:32-43
32そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。33ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、34彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。35こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、36そこにすわって、イエスの見張りをした。37また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。39道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」41同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。42「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。43彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」44イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。

【ポイント】
①歴史から学ぶ
この地上は罪(罪の性質)によって支配されています。ですから、正しいことを教えたり、行ったりする人は迫害を受けるのです。イエス様はマタイ23章でパリサイ人たちをこのように批判しています。「29わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、30『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。31こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。」

イエス様は、当時のパリサイ人(ユダヤ人)たちは、自分たちが預言者殺し(その子孫)であるという自覚を全く持っていなかったことを大きな問題だと見ていました。歴史から学ばないユダヤ人は、再び同じ間違いを犯してしまうのです。しかも、今回は預言者ではなく、救い主であり、神の御子である方を殺そうとしているのです。

この事実は決して他人事ではありません。イエス様を十字架にかけたユダヤ人たちの失敗をはじめ、聖書の中には神様のみことばや命令に不従順な態度をとってしまった人々が数多く記録されています。例えば、パウロの手紙を読めば、当時の教会が陥ってしまった問題などをはっきりと知ることができます。私たちはそれらの問題を自分の問題として真剣に受け取り、同じ間違いを犯すことがないように努めることが求められているのです。

ですから、今日の箇所を読む時にも、パリサイ人とは真逆に、「私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、私たちも預言者たち(イエス様)の血を流すような仲間になっていたであろう」と考えなければならないのです。そのような思いで、イエス様の十字架の場面をしっかりと見つめてみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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