デイリーディボーション 12月4日(金)

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デイリーディボーション 12月4日(金)

2020年12月4日(金)
ペテロの手紙第一 1:7-9 7あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。8あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。9これは、信仰の結果である、{あなたがたの}たましいの救いを得ているからです。
【ポイント】 ①試練によって愛の関係が試され、強められる まず、私たちの「信仰」そのものについて考えてみましょう。「神様(キリスト)を信じる」の同義語が「神様(キリスト)を愛する」であることは、繰り返し学んでいますね。「神様(キリスト)との愛の関係」が築かれていない人には「救い」「天国」「永遠いのち」は無関係の約束であることを知らなくてはなりません。ヨハネの福音書17章に記されているイエス様の天の父への祈りの一節を見てみましょう。「3その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」この「知ること」とは、「認識すること」という表面的な意味ではなく「個人的な関係を持つ」ことであり「愛すること」なのです。
イエス様の十字架の死によってはっきりと知ることができる神様の純粋で、永遠に変わることのない「愛」を知り、受け取り、その応答として神様を愛するようになると、8節に記されているような変化が私たちの内に起こります。「8あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」反対に言うと、あなたがクリスチャン生活に喜びや平安を感じていない人がいたとしたら、その根本的な原因は神様との愛の関係(信頼関係)が築かれていないということなのです。簡単にいえば、神様からの「だいじょうぶだよ!」という語りかけを信じていないということなのです。
別の見方をすると、私たちが神様を愛し、信頼しているか否かは逆境や困難の中でこそ明らかにされるということです。多くの人は自分の祈り(願い)がかなえられた時に、神様の存在を強く感じたり、神様への愛を覚えたりするのではないかと思います。それは決して悪いことではありませんが、私たちが自分の思い通りの人生を歩んでいようが、逆境や失意の中に歩んでいようが、神様の私たちに対する愛は一切変わることはないのです。むしろ、夫婦、親子、部活動、職場などの人間関係を例にすれば、逆境や苦難を乗り越えた人たちのほうが、より強い信頼関係が築けているケースが多いのです。同じように、私たちの神様との関係も困難の中でこそ試され、強められていくのです。
ですから、私たちクリスチャンは、何が起こったとしても「たいじょうぶだよ。」という神様からの語りかけを信頼し続けるのです。そして、互いに祈りによって支え合うのです。それは「多くの人が祈れば神様がより多くのご利益をくださるから」ではありません。互いに祈り合うことによって、祈る者、祈られる者の両方が「神様を信頼していればよいのだ!」という確信に導かれるからです。
今日も神様は「だいじょうぶだよ。私はあなたを愛しています。私を信頼しなさい。」と語りかけてくださっています。もし、私たちが神様を愛しているのであれば、この語りかけを信じようではありませんか。
ライフチャーチ 大谷信道


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