デイリーディボーション 12月5日(水)

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デイリーディボーション 12月5日(水)

2018年12月5日(水)
コリント人への手紙 第2 7:5-7 5マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。6しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。7ただテトスが来たことばかりでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められたのです。あなたがたが私を慕っていること、嘆き悲しんでいること、また私に対して熱意を持っていてくれることを知らされて、私はますます喜びにあふれました。
【ポイント】 ①指導者の思いを理解する 指導的な立場にある者と指導される立場にある人の思いには大きなギャップがつきものです。親は子どもに、教師は生徒に、上司は部下に対して何かしら注意する場合、相当気を遣うものです(何の遠慮もせず、言いたいことを言い放題の人もいますが…)。相手のためを思って厳しい注意や指導を行った後は、「怒らせてしまったのではないか?」「へそを曲げてしまうのではないか?」「会社を辞めてしまうのではないか?」などと、厳しいことを言われた人たち以上に心配したり、悩んだりするものです。明日の8節を読むとわかるのですがパウロはコリント教会に対し、大変厳しい手紙を送り、その手紙を受け取ったコリント教会の人々が素直にパウロのメッセージを受け取り主に対して前向きに歩んでいるのか、それとも腹を立てて反抗的になっていないかと心配していたのでしょう。しかし、7節にある通り、テトスによって良い知らせを受け、喜ぶことができたのです。
パウロは神様を信頼していましたが、だからといって、パウロが心配事、悩み、ストレスのない日々を歩んでいたと考えてはなりません。彼は日々教会の事を思い、教会のために祈り、教会のために悩んでいたのです。彼も私たちと同じように、傷ついたり、落ち込んだりしながら行きていたのです。11章に記さているパウロの告白を聞いてみましょう。
「28このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。29だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。30もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」
パウロはイエス様の真理を妥協することなくストレートに伝え続けました、しかし、その裏では常に心配、悩み、教会への心づかいを覚えながらの歩みがあった一人の人間であったことを忘れてはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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