デイリーディボーション 12月7日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 12月7日(水)

2022年12月7日(水)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 7章12-23節 21そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。22すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
【ポイント】 ①パウロの正直さに倣う その2 今日の個所でも、パウロは正直に自分の心の中で起きている葛藤を言い表しています。ここからは、彼の格好つけも、偽善も一切感じません。律法の光に照らし出される時に、私たちの心の中に「悪」「罪」という闇が存在していることに気が付くのです。これまで学んできたように、これが律法の役割であり、律法自体はけっして悪いものではないのです。
パウロは、さらに人間の心の問題の複雑さについて触れています。それは、「頭」と「心」の不一致ともいえる現象です。つまり、頭では律法が良いものであること、律法を守るべきであると確信しているにもかかわらず、心の中には「悪」「罪」への誘惑があり、その誘惑の「虜・とりこ」にしている自分がいるという現象です。これは、すべてのクリスチャンが日々覚えている葛藤でもあると思います。
イエス様の福音、そしてパウロのメッセージによって、私たちクリスチャンは自分の心の中の問題、葛藤はすべての人が経験しているものであり、それらを神様のまえで正直に告白すること、同じ信仰を持っている兄弟姉妹と分かち合うことが大切であることを知ったのです。
教会では、信仰の成長、霊的な成長についてたくさん教えられます。それらは非常に大切なことなのですが、私たちがどれほど成長したとしても、依然として罪の性質をもった存在であることを忘れてはなりません。自分が他者よりも成長したと感じたり、他者よりも信仰的であると思うときに、他者を批判したり、さばいたりしてしまうことが多いのです。
他者を批判したり、さばいたりする環境の中では、批判や裁きを避けるために、信仰深いふりをし始める人が出てきてしまいます。しかし、そこには平安も喜びもないのです。また、そのような環境の中で育つと、神様も私たちを厳しくさばかれるかたであるという間違った神様のイメージが刷り込まれてしまう可能性もあります。
ですから、教会にあっても、家庭にあっても、パウロが模範を示してくれているように、そこに集まる者が自分の罪深さを正直に認められ、自由に共有できる雰囲気を醸成することが大切なのです。そのような教会、家庭こそが、本当の意味で成長したクリスチャンの集まりなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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