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2021年12月7日(火)
マタイの福音書 14:22-33 22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。23群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。24しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。25すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。26弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。27しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。28すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」29イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。30ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。31そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」32そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。33そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った。
【ポイント】 ①「信仰の薄い人」を助けるイエス様 今日の個所から「信仰のあり方」について学ぼうとする人が多いことでしょう。もちろん、イエス様を信じ、イエス様から目を離さずに歩むことが大切であることは言うまでもありません。しかし、ここから私たちが知ることができることは自分の信仰についてだけではないのです。
私たちが、決して見落としてならないポイントは、イエス様が信仰の薄い者をあわれみ、助けてくださる方であるということです。そもそも「自分も水の上を歩きたい」というペテロの願いは、純粋な信仰のように思えますが、実際には「自分が特別な存在として認められたい「他の弟子にはできないことをしたい」という、大変いエゴイスティックで野心的なペテロの内面を垣間見ることもできます。イエス様は、そのようなペテロの心の中をすべてご存知の上でペテロを招かれたのでしょう。ペテロの良くも悪くも熱心な思いをしっかりと受け取り、傲慢とも思える挑戦をさせ、失敗した時にイエス様に助けを求めさせ、イエス様は助けられたのです。つまり、イエス様は、ご自身が、信仰的に失敗した者をもあわれみ、助けてくださる方であることをペテロ、弟子たち、そして私たちに教えられているのです。
私たちの実際の信仰の歩みを考えてみましょう。イエス様の導きを疑わずに、常に心の中に平安を覚えながら、地上での苦難や困難の中を歩むことができているでしょうか。イエス様の護りを疑ったり、忘れたりして、右往左往していることの方が多いのではないでしょうか。そこで大切なことは、イエス様を信頼できなかった自分を責めたり、落ち込んだりすることではないということです。もちろん、イエス様は、困ったときの神頼みのような関係性を喜ばれることはないわけですが、イエス様を信頼して歩みたいと願っている私たちが、イエス様を疑ったり、忘れたりしたとしても、根気強く、あわれみ深く私たちを導いてくださる方なのです。
ライフチャーチ 大谷信道