デイリーディボーション 12月9日(金)

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デイリーディボーション 12月9日(金)

2022年12月9日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 7章24-25節 24私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。25私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
【ポイント】 ①パウロが求めていた救いとは? 今日の個所から、パウロにとっての救いがどのようなものであるのかを知ることができます。まず、第一に分かることは、パウロは死後の心配をしているわけではないということです。一般的に、人間が何らかの宗教を信じることになる動機付けは死や、死後の不安です。現に、多くの日本人にとっての仏教との一番大きな関りは葬儀でしょう。最近は無宗教での葬儀も増えているようですが、本当に死後について何の不安もなければ、わざわざ高いお金を支払って仏教(宗教)の葬儀を行って欲しいという思いは出てこないことでしょう。繰り返しになりますが、パウロを救いに駆り立てているのは、将来の出来事である死や、死後の不安ではないことが分かるのです。
パウロが求めていたのは、「現在」の救いです。彼は、未来の死後の罰を恐れているのではなく、現在の罪の問題に苦しんでいたのです。もちろん、その問題は来るべき時の審判における、不義な者に対する罰が含まれていることは間違いありません。しかし、パウロにとっては、それは将来の問題ではなく、現在の問題だったのです。なぜなら、パウロは神様の臨在を信じていましたから、自分の罪が神様を悲しませ、神様との関係を壊していることを知っていたのでしょう。パウロにとっての罪の問題は、神様との関係においては「今日」の問題だったのです。そして、それは生きておられる神様を信じる者すべてにとっての問題となるのです。反対に言うと、死後の裁きだけに不安を覚えている人は、神様の思いを考えているのではなく、自分のことだけを心配しているのでしょう。しかし、それは聖書が教える信仰ではないのです。
パウロは、律法に真剣に、そして正直に取り組むことによって、自分の罪の深刻さを十分に認識していました。しかし、律法を守り続けることによって、神様の前で本当に正しい者(義)とされないことも理解していました。そして、その現在の神様との関係に平安や喜びが無いことを強く感じていたのでしょう。その苦しみは、将来の不安ではなく、現在の不安であり苦しみだったのです。
そのようなパウロにとっての救いは、罪によって壊されている神様との関係の完全な修復だったのです。さらに踏み込んでいえば、神様の愛の関係(完全な罪の赦し)が無ければ、自分は惨めな人間として滅びていくしかないと感じていたのです。そのパウロは、イエス様の福音を聞き、イエス様の愛、恵、あわれに触れ、そこにしか本当の救いがないことに気が付いたのです。それは、律法の行ないによっては絶対に人間は義とされず、神様との関係も修復されないという確信を得た瞬間でもあったことでしょう。
パウロの体験した救いは、現在の罪の状態の惨めさ(絶望)からの救いであり、同時に永遠に続く救いでもあったのです。なぜなら、神様との愛の関係は、現在に始まり永遠に続くものだからです。
1コリント 13:13 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
私たちは、この愛の福音を受け、その喜びを家族や友人に伝えていくのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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