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2022年2月1日(火)
マタイの福音書 18章15-17節 15また、もし、あなたの兄弟が{あなたに対して}罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。16もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。17それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。
【ポイント】 ①和解についての神様の知恵 今日の個所からは、イエス様は常に「現実」の中に生きていたことが分かります。「理想」を説かれるだけでなく、イエス様の弟子となった者のすべてが「理想」通りに歩むことができないという「現実」を知っておられたのです。
それでは、牧師・信徒はどうでしょうか。教会の中で、家庭の中でイエス様が教えられた現実的な和解(問題解決)の方法をきちんと守っているでしょうか。罪を犯している兄弟・姉妹を見つけた時に、他の人々にうわさ話のように吹聴したり、皆が集まっているところで突然糾弾したりするような場面を見たことはないでしょうか。本人と向き合わずに、第三者(やじ馬)的に問題を扱うことは簡単なことですが、それはイエス様命令に背いていることになるのです。
とはいえ、本人と向き合い「行って、ふたりだけのところで責めなさい」という行動も大変勇気がいることですし、双方の心に痛みを覚えるものです。話を聞き入れてくれない場合はなおさらです。次は、他の証人となる人を二人か三人連れていき、それでもだめ場合は教会全体で、問題の人と話し合うことになります。最終的にその人が罪を認め、悔い改めないのであれば、教会から追放・破門することになるわけです。
「罪を犯す者」とはどのような人なのでしょうか。文脈から見ると「偉そうにする人」「小さなものつまずかせる者」と考えるのが妥当です。偽預言者、偽教師が「律法の行ないによる義」などを教えれば、教会の中には競争、さばき合いが起きることが明らかです。また、間違った教えを広めるというような意図がなかったとしても兄弟姉妹につまずきを与える者は、その行為によって教会の愛の交わりを破壊することになるのです。
ですから、教会の中に愛の実を結ばせる者は、その実によって「キリストの忠実な者」であることが分かります。反対に、どのように正しそうな教えを説いたり、正しそうな主張をしたりする者がいたとしても、そのことによって兄弟姉妹の相互愛、交わりが冷え冷えとしたものになってしまったとしたら、そのような原因になっている人は「罪を犯す者」なのです。もちろん、ガラテヤ5章にあるような「19…不品行、汚れ、好色、20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21ねたみ、酩酊、遊興」などにふける人は言うまでもありません。
誰の目にも「罪を犯している者」であることが明らかな場合は、比較的対処が容易であると思います。しかし、個人的な経験からすると、先に述べたように、一見すると正しいことを主張しているように見えるけれども、結果として教会の交わりを壊している人が、現代の教会においても少なくないのです。そして、その場合、その対処は大変難しいのです。ただ、「教会全体が交わりを壊すこと、信徒につまずきを与えることはダメ!」というイエス様の命令を共有することによって、そのような人々の影響を受けることなく、キリストの愛による交わりを守ることができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道