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2022年2月10日(木)
マタイの福音書 13章10-12節 10弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」11しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。12というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」
【ポイント】 ①結婚は神様の計画 聖書を信じる者にとっての「結婚」とは、二人の人間が神様の前で互いの愛を約束することです。しかし、イエス様の時代のユダヤ人たちの結婚(離婚)についての考え方は、創世記2章24節に記されている「24それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」という姿ではなく、妻(女性)は、夫の所有物であるかのような扱いを受けていたことが分かります。日本では夫やその家族が「あれはうちの嫁です」という言い方をしますね。この表現に違和感を覚えない方もいらっしゃるようですが、夫の配偶者が夫やその家族の所有物であるという雰囲気を強く含んだ表現だと思います(「お嫁さん」という表現だとちょっと違いますが)。事実、妻やその家族が夫を「あれはうちの婿(むこ)です」と呼ぶことは、婿養子を迎えた場合以外にはほどんど聞きません。ことばのニュアンスの受け取り方には個人差があると思いますが、日本では依然として夫の立場が上であることが当然だという感覚が広く受け入れられているようです。
しかし、イエス様は神様の本来の計画が離れてしまた当時のユダヤ人の結婚制度が神様の御心ではないことを明確にされました。創世記の記述にも、イエス様のことばにも、「結婚とは女性が夫やその家族の所有物になることである」という教えを見出すことは出来ません。ユダヤ人の結婚はアダムのエバが結ばれた後に立てられた人間的な制度であり、しかもそれは夫に有利な制度であったということです。それは、弟子たちの「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」という言葉に如実に表れていますね。
ここでのポイントは、結婚するにしても、独身を貫くにしても、それは神様から与えられた生き方であって、「好き嫌い」「損得」「苦楽」を基準にして選ぶことではないということです。そして、どちらを選ぶにしても、そこには神様から与えられるチャレンジ(試練)があるということなのです。また、どちらを選んだとしても、神様の計画(御心に)に忠実に生きる者、つまり「神を愛すること」と「隣人を愛すること」に熱心に取り組む者は、そこに神様の祝福があるということなのです。
結婚が神様から与えられている計画また、使命であり、神様への愛の応答として結婚相手を愛するという固い決意をしている者同士が結婚すれば、結婚生活は祝福に満ちたものとなることでしょう。反対に、新郎、新婦のどちらかにでも、その決意が欠けている場合は、結婚後に様々な問題が起きる可能性が高いのです。
結婚は自分(相手)にとって得なものでも有利なものでもありません。結婚は神様のためのものなのです。
ライフチャーチ 大谷信道