誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2021年2月12日(金)
ペテロの手紙第二 3:8-11 8しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。10しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。11このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
【ポイント】 ①一日は千年のようであり、千年は一日のよう 恐らくペテロは詩編90篇4節の「4まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。」という箇所を思い出しながら語っているのではないかと思います。イエス様の再臨を疑う人々には「詭弁」にしか聞こえないかもしれませんが、ペテロが個人的な考えではなく聖書から応えているという点が重要です。そして、再臨については、詩編にある通り、神様の計画は私たちの想像、常識を越えたものであり、私たちは自分の尺度でものを見るのではなく、神様の視点から神様の計画について考えることが重要だということが今日の個所と詩篇90篇から分かるのです。
②主は忍耐深い さらに9節から、神様はイエス様の再臨までに無意味に時間をかけているのではなく「すべての人が悔い改めに進む」ことを「忍耐深く」待たれていることが分かります。現代のクリスチャンはイエス様の再臨が2,000年間起きていないことを知っています。と言うことは、私たちは1世紀のクリスチャンたちよりも、神様の忍耐深さについて2000年分多く知っていることにもなるのです。
私たちは、この神様の忍耐深さとあわれみに目を留める必要があります。神様は、私たちが地上のはかない喜びを長く味わうことができるために再臨を遅らせているわけではないからです。神様の忍耐とあわれみを自分の欲求を満たすために用いてはならないのです。
ヤコブ5章5節 5あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。
1ペテロ4章2節 2こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。
ライフチャーチ 大谷信道