デイリーディボーション 2月13日(木)

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デイリーディボーション 2月13日(木)

2019年2月13日(水)
ガラテヤ人への手紙 2:9-10 9そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。10ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。」
【ポイント】 ①パウロとペテロの一致 2章の前半から、パウロとペテロの一致、つまり、「パウロが伝えている福音」と「ペテロが伝えている福音」に矛盾も齟齬もなく、完全に一致していることが分かります。もし、この会談で福音についての論争が起き、不一致のまま決裂してしまったとしたら、どちらかの教え(または双方)にイエス様の御心に反する内容が含まれていることになってしまいます。ここで行われた「握手」は、人間的な合意ではなく、主にある一致の証しなのです。
②使徒の権威は「偉さ」とは無関係 さらに、明日の箇所では、パウロがペテロの間違いを指摘する出来事が記されています。ここからも、福音(その適用)に間違いがあれば互いに率直に指摘し合うという姿勢を保っていた事が分かります。というのも、この世の組織では、権威を振りかざし独裁的になってしまうリーダー、そのようなリーダーに媚びへつらったり、忖度したりして、出世の機会を狙う人々が生み出されるのが普通だからです。実際、パウロはペテロたちについて「柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネ」という表現を使っていますね。本人たちはそのつもりがなくても、周りの信徒からは「偉い人」「権力ある者」として見られていたのでしょう。
キリストの使徒としての権威とは組織内(教会内)での偉さや権力の強さではなく、イエス・キリストから直接福音を聞き、正確に宣べ伝える使命(重責)を帯びていること(担っていること)なのです。ある意味、偉そうな素振りを見せたり、自分が偉い人として扱われることを容認したとしたら失格なのです。(参:マタイ23章)これは、現代の教職者についても同じですね。(参:マタイ20:26-28)
ライフチャーチ 大谷信道


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