デイリーディボーション 2月16日(土)

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デイリーディボーション 2月16日(土)

2019年2月16日(土)
ガラテヤ人への手紙 2:15-16 15私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。16しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
【ポイント】 ①信仰による義 「信仰による義」が新約聖書だけの教え、または、パウロが作り出した教義などと理解してはなりません。クリスチャンでないユダヤ人にとって、イスラエル史上最大の救いの出来事は出エジプトです。神様によってイスラエルの民がエジプトから救い出されたのは律法の行いによってでしょうか?そうではありません。そもそも、エジプト脱出の御業は、律法が与えられる前に行われましたね。モーセを通して与えられた神様の救いの方法(羊を屠り、家の門に血を塗ること)を信じたイスラエルの民が神様の罰(長子の死)と、エジプト人からの支配から救い出されたのです。この救いの御業の最重要ポイントは、神様の救いの御業を信じることでした。もちろん、出エジプトによってイスラエルの民が永遠のいのちを得たわけではありません。しかし、この神様の救いの御業の法則(信仰による救い)は、旧約聖書でも新約聖書でも変わることが無いのです。
それでは、ここでの「信仰」とは「イエス・キリストを信じます。」と告白することなのでしょうか。そうではありません。もちろん、「信じます!」と告白する人が「信じる」という言葉の意味を聖書から正確に理解した上での告白であれば、それは真実な信仰告白となるでしょう。しかし、その意味を正しく理解しないで、呪文のように「イエス・キリスト信じます。」と口にしても、それで救われるわけではありません。聖書全体を見ると「信じます」ということばを別の言葉で言い換えれば、「一番に愛します。」「従います。」「自分の人生を献げます。」「何があっても最後まで信頼し続けます。」となるでしょう。(マタイ16:24、ヨハネ14:15、ヘブル11章等)
ガラテヤ2章から、使徒ペテロでさえも「信仰による義」に確信を持つことができていなかった時期があることが分かります。ですから、私たちもイエス様が教えられている「信仰」について聖書から真剣に学ぶ必要があるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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