誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2022年2月16日(水)
マタイの福音書 13章23-25節 23それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。24まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」25弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」26イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
【ポイント】 ①富を愛するか、神を愛するか? この世には「富」や「金」を欲している人が大勢います。それは普通に理解できますね。しかし、非常に悲しいことですが、「富」や「金」を手に入れるための手段として、何らかの信仰を持っている人も極めて多く存在しています。クリスチャンも例外ではありません。
クリスチャンである私たちは、自分が何によって幸せを感じているのか,自分が何によって平安を覚えているのかを自分自身に正直に問う必要があります。結局のところ、銀行口座(タンスの中)に今の生活のため、または、老後のためのお金がたくわえられていることが、幸せや平安を感じることができる一番の要因になっている人は少なくないのです。
あなたはどうでしょうか。あなたの心の幸せや平安を支えているのは、結局のところ「お金」になってしまってはいないでしょうか。たとえ私たちが自分を「金持ち」だと認識していないとしても、心の幸せや平安を決定づけているのが「お金」であったとしたら、私たちは「お金」に支配されていることになるのです。だとすると「23まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。24まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」というイエス様のことばは、決して他人事ではないということです。
ですから、「神を愛している」と言いながら、本当に愛しているのが「神様」ではなく「経済的祝福」だとしたら、その人は「天の御国に入るのはむずかしい」ということになってしまうわけです。
マタイの福音書 6章24節 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
あなたは大丈夫ですか?
ライフチャーチ 大谷信道