デイリーディボーション 2月17日(水)

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デイリーディボーション 2月17日(水)

2021年2月17日(水)
ペテロの手紙第二 3:15-16 15また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。16その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
【ポイント】 ①使徒の目撃証言や教えは聖書(旧約聖書)と同等の権威を有する 当然のことなのですが、ユダヤ教徒はキリスト教の新約聖書を聖書と認めていません。ある意味、使徒の時代も同じです。ペテロが16節で「聖書」と言っていますが、これは「旧約聖書」のことです。ちなみに、現在の新約聖書に収められている27の書物は、397年に行われたカルタゴ会議で「正典(新約聖書)」として確認されました。
しかし、今日の個所を見ると、397年よりもずっと早い段階で、キリストの直接の目撃者であるペテロ、パウロの書き記したものが旧約聖書と同等の権威あるもの(啓示)であるという認識がクリスチャンの中で共有されていたことが分かるのです。また、新約聖書編纂のプロセスは、会議の中でトップダウン的に決めたことではなく、当時のクリスチャンたちが共有していた書物について、その著者、書かれた内容などを精査した結果であるというポイントも重要です。多くのクリスチャンが、当時共有していた様々な文書について、キリストの福音が正確に宣べ伝えられているのか、異端的な教えが入り込んでいないのかなどを徹底的に調べ、議論を重ねた結果が現在の新約聖書であるということなのです。
②聖書の曲解をさける 聖書ほど研究され、批判されてきた書物はないのではないかと思います。つまり、私たちが聖書を読んでいて感じる疑問などは、過去にすべて取り上げられ、答えられて来たということです。「自分だけが秘密の解釈を見つけた!」などと言うことはほぼあり得ないのです。ただ、ローマカトリック教会のように、過去に行われた間違った解釈をあえて変更しないような教派が存在しますし、エホバの証人のように、自分たちの教義に都合が良いように聖書を翻訳し、他の訳の聖書を読むことを禁止している団体もあります。
しかし、私たちはそうではありません。様々な翻訳の聖書を比較しながら読むことができますし、解釈の多少異なる注解書を比較することもできます。その気になれば、解釈が入り込むことが不可避な翻訳聖書ではなく、ヘブライ語とギリシャ語の聖書から読むことも可能です。パソコン・スマホのアプリを使用すれば、多くの人が聖書の著者が伝えようとしていたメッセージを正確に受け取ることができるのです。
ほんの一部の人しか聖書が読めなかった時代とは違い、私たちは誰でもが聖書にアクセスできる素晴らしい時代に生きているのです。それゆえ、間違った教え、間違った解釈に対する抵抗力は、どの時代のクリスチャンよりも強いはずなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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