デイリーディボーション 2月18日(火)

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デイリーディボーション 2月18日(火)

2020年2月18日(火)
テサロニケ人への手紙 第二 2:14 14ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。
【ポイント】 ①「栄光」について深く考える キリスト教会の中には「カテキズム」という教理問題集を持っている教団教派があります。聖書の教えを体系的に分かりやすくまとめたものです。カテキズムの編纂のプロセスには、各教団教派の聖書解釈が入り込んでしまうので、その活用に消極的な教会(牧師)もあるかとは思います。
例えば1640年代にイングランドとスコットランドの神学者によって書かれたウエストミンスター小教理問答集というものがあります。例その第1番目の質問は「人のおもな目的は、何ですか。」というものです。個人的には、第一問は「人の」ではなく「神のおもな目的は、何ですか。」という質問にするべきではないかと思います。しかし、質問の本意は「神は何の目的で人間を創造されたのですか。」ということでしょうから、良しとしましょう。
この問答集の編纂にあたった神学者たちが聖書の最初から終わりまで検討し導き出した答えは、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです 。」というものです。この答えに異議を唱えるクリスチャンはいないと思います。神様はご自身が栄光を受けるために人間を創造されたということは、聖書全体に共有されている事実です。ということは、神様が人間い与えてくださった「救い」の目的も「人のため」ではなく、「神様が栄光をうけられるため」だということです。例えば、パウロはエペソ1章で「11この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行なう方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」と教えている通りです。
この一点を間違えると、人間が神様のために存在しているのではなく、神様が人間のために存在していることになってしまいます。ですから、上のカテキズムの第一問に記されている問いかけは、聖書を読むことができるすべての人が知っていなければならない聖書の知識であり、この聖書の正しい知識が、私たちの個人的な信仰の歩み、教会の歩みが健全なものであり続ける助けとなるのです。
そして、今日の聖書の個所にあるように、神様は、神に栄光を帰することを人生の目的とした人々から栄光を受け、さらに人々に栄光を与えられるのです。私たちクリスチャンは、この「栄光」のサイクル(連鎖の中にあるのです。このサイクル(連鎖)は、「愛」という言葉に置き換えることもできます。つまり、神様はご自分の愛をキリストにあって示し、その愛を受け取った人は神を愛する者へと変えられ、神様は神を愛する者をさらに愛されるのです。このサイクルの中で私たちの神さとの愛の関係が深められていくのです。
ですから、神様の栄光を得たいと願うのであれば、神の栄光を知り、神に栄光を帰すことを人生の目的とすればよいのです。自分の栄光を得ることを人生の目的とする人は、永遠に栄光のサイクル(連鎖)の中に入ることはできないのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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