デイリーディボーション 2月19日(火)

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デイリーディボーション 2月19日(火)

2019年2月19日(火)
ガラテヤ人への手紙 2:21 21私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
【ポイント】 ①「イエス様の十字架の意味」を正しく理解する 「律法主義」はクリスチャンにとっての最大の落とし穴です。ほとんどのクリスチャンは、信仰(救い)は、人間の行いによってではなく、神様の「恵み」によって与えられるものであることを頭では理解しています。しかし、救いを得た後に「恵み」が本当に意味するところを忘れてしまう人が多いのです。皮肉なことに、熱心で保守的な教会(クリスチャン)ほどその傾向が強いのです。「聖書を信じる者はこのように生きるべき」とか「聖書を信じる者にとっては◯◯は罪である」というような教えが律法のように共有されているのです。そして、それらの教えを熱心に守っている人は信仰的なクリスチャン、そうでない人はいい加減なクリスチャンというような評価(さばき)を兄弟姉妹や自分に対して行うようになってしまうのです。しかし、そのような信仰熱心さは、イエス様が批判された律法学者やパリサイ人の信仰熱心さ、つまり「律法主義」に極めて似たものであることに気がつくことが重要です。
「律法主義」の落とし穴に落ちないために必要なことは、今日の箇所を胸に刻みつけることです。別の言い方をすれば、「自分が罪を赦された罪人であることを忘れないこと」です。私たちは、クリスチャンになる前も後も、自分の努力によって完全な者になることができない不完全な者なのです。私たちが救いを得ているのは、ただイエス様の十字架、つまり神様の恵みによるのです。この1点を忘れてはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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