デイリーディボーション 2月2日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 2月2日(水)

2022年2月2日(水)
マタイの福音書 18章18-20節 18まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。19まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。20ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
【ポイント】 ①「心を一つにして祈る」 「つなぐ」「解く」は、前の「罪を犯した兄弟」について、教会のコミュニティーで神様の御心を求めて祈り一致した内容であれば、それは神様の御心と矛盾することはないというような意味だと考えられます。
しかし、それは教会の決断が絶対であるとか、教会の一部のリーダー(例えばローマ方法)が絶対的な権威を有しているというような意味ではありません。なぜなら、この話の文脈は「この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」というイエス様の「偉くなりたい人」「偉そうにする人」に対する戒めから始まっていたように、教会や指導者の権威付けとは正反対の価値観の中で語られたことばだからです。
同じように、19節の「 どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます 」の「どんな事」という文言も文脈を考えながら聞けば、そこには「一人ひとりがへりくだり、幼子のような純粋さの中で、神様の御心を求め、心が1つになった状態であれば」という前提が暗に示されていることが分かるはずです。
「心のを一つにして」ということばがクリスチャンの世界ではよく用いられますが、これは決して「人間の意見を一つにまとめること」ではありません。神様の御心、計画、意図に人間が心を合わせることなのです。この点について誤解している人が多いのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道


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