デイリーディボーション 2月20日(土)

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デイリーディボーション 2月20日(土)

2021年2月20日(土)
ペテロの手紙第二 3:17-18 17愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。18私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
【ポイント】 ①「恵において成長する」とは? 今週の日曜日の礼拝では「マズローの欲求のヒエラルキー」を参考にしながら、この世の人々だけでなく、多くのクリスチャンも「自分の欲求を満たすこと(みたされること)」が人生の祝福であり、喜びであるという「大きな勘違い」の中に生きていることを確認しました。同時に、「欲求を満たすことが人生の喜び」という価値観と決別しなければ、一時的な喜びや満足を感じる瞬間があったとしても、すぐに欲求不満を感じるというサイクルの中で一生を終えるという悲劇が待っていることを学びました。
この「欲求のヒエラルキー(スパイラル)」が厄介な点は、「自己実現」「自己超越」などの欲求は、過度な食欲、物欲、性欲、自己顕示欲などと違い、あまり悪いものだという認識がないということです。むしろ、「自己実現」や「自己超越」などを求めることは「向上心」であり、それらを獲得することは「成長」、つまり大変良いことであると思っている人が多いことです。さらに、多くの宗教は「自己実現」や「自己超越」などの欲求(ニーズ)に応え、より多くの信者を獲得しようと必死になっています。
もっと悪いことは、宗教(信仰)とはそういうものだと思っている人が多いということです。つまり、「自己実現」「自己超越」などの顕在的または潜在的な欲求を満たしたいという思いから教会の門をたたく人が沢山いるということなのです。そもそも、入り口から間違ってしまっている可能性があるということなのです。イエス様はマタイ7章で次のように教えられています「13狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
解決策は簡単です。自分が欲求のスパイラルの中にあるのかどうかについて、自分の心を正直に精査するのです。「成長」とか「向上」などという言葉で美化されてしまっている欲求までも明らかにするのです。その時に、自分のうちにある限りない欲求、欲望に愕然とすることでしょう。その時に自分が救いようのない罪人であることに気が付くのです(参:ローマ7章)。自分の成長の欲求を満たすために神様すら利用しようとしている自分に気づくことでしょう。
これが、私たちクリスチャンの信仰の入り口、つまり恵みと知識において成長する出発点なのです。このような視点を得るとイエス様の招きのことばの意味もとてもよく分かるようになると思います。
マタイの福音書16章24-25節 24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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