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2021年2月20日(土)
ヨハネの手紙第一 1:1-3 1初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、2――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―― 3私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
①ヨハネの手紙の執筆事情 新改訳聖書(チェーン式)に載せられている「執筆事情」をそのまま引用してみますので、学びの参考にして見ましょう。 〈執筆事情〉これらの教会には異端的な教えが入ってくる危険があった(2:18, 4:1)。彼らはイエスがキリストであることを否定し(2:22)、イエスが神の子であることを認めようとしなかった(2:23)。また、キリストが肉体を取ってこの世に来たことも否定した(4:23)。さらに、道徳的にも誤った生活をしていた(3:4‐10)。ヨハネはこれらの異端的教えに対して、正しい福音の教理を示し、異端に対する警告を与えるために、この手紙を書いたのである。
②ナザレ出身のイエスは確かにキリスト(メシア)であった この手紙は西暦80年代後半か、90年代初めに書かれたと思われます。つまり、イエス様の昇天から50年以上経っていることになります。私自身で考えると、物心ついた時代(5,6才?)の50年前といえば、1920年代(第一次世界大戦直後・大正末期・昭和初期)だったわけで、当時は歴史の教科書でしか知らないはるか昔だったわけです。しかし、来年50歳を迎えようとしている今の自分で考えると、50年前はカラー写真やカラービデオで見ることもできる「ちょっと前の出来事」と感じていることに気が付きます。おそらく、使徒ヨハネにとっても、50年前のイエス様の宣教、十字架、復活、昇天は、非常に記憶に新しい「ちょっと前の出来事」と感じていたのではないかと思います。しかし、手紙が書かれた時代(西暦90年代)の若者にとっては、50年前の出来事は自分たちの記憶にはない、遥か昔の出来事であり、その情報も不確かなものだと感じていたに違いありません。
そのようなことを考えると、この手紙の書き出しに込められた使徒ヨハネの熱い思いを実感を持って感じることができるのではないでしょうか。つまり、「自分は、イエスの声を自分の耳で聞き、イエスの業を自分の目で見、そのからだも自分の手でさわったことがあり、自分の伝えている情報が確かであること、そして、そのイエスは間違いなく神の御子であり、キリストであるということを西暦90年代の教会に集う人々に何としてでも伝えたいと思っていたのです。そして、そのメッセージは西暦2020年代に生きる私たちにも同じように響くのです。
この熱い思いを感じつつ、使徒ヨハネの証しを聞いて行きましょう!
ライフチャーチ 大谷信道