デイリーディボーション 2月22日(金)

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デイリーディボーション 2月22日(金)

2019年2月22日(金)
ガラテヤ人への手紙 3:1-5 1ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。2ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。3あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。4あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。万が一にもそんなことはないでしょうが。5とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
【ポイント】 ①「肉によって完成される」とは? 3章に入ってもパウロは「クリスチャンの落とし穴」について説明を続けています。つまり、律法を行う努力によってではなく、イエス・キリストを信じる「信仰」と神様からの一方的な「恵み」によって救いが与えられたクリスチャンが、再び律法の行いによって義とされるという間違った感覚に陥ってしまう現象です。
この現象は「養子」を例えにして考えるを大変分かりやすいと思います。あるところに、極めて厳しい規則がある養護施設に暮らす身寄りのない子どもがいたとします。その子は施設の中で、良い子にしていないと体罰を与えられる、もっと厳しい施設に送られるというような恐怖や不安を感じています。しかし、ある日、その子を実子として迎え入れたいという夫婦が現れます。夫婦からはその子を養子としてではなく、戸籍上も実子になるかたちで引き取る約束をしてくれ、何があっても施設に送り返すようなことはしないと説明してもらいます。その子は約束を信じ、その家庭に引き取られ、夫婦の温かい愛情の中で暮らすことになります。
しかし、しばらくすると、その子は以前の施設での厳しい規則や、職員から「良い子にしていないと、施設に戻されることになるよ!」と言われたことを思い出し、不安になります。そこで、夫婦に気に入られ、追い出されないように必死に良い子であろうとがんばります。夫婦から褒められれば嬉しいいのですが、そこには本当の平安はありません。
あなたはこの子が、自分は追い出されるのではないかと不安になってしまった原因はどこにあると考えますか?
この子の不安の原因は、夫婦の約束を疑ってしまったことです。無条件で受け入れられるという経験がないこの子は、時間が経つ中で、わがままや甘えが出てきてしまう自分を見て、こんな悪い子である自分を、本当に自分の子どもとして愛し続けてくれるのか不安になってしまったのです。その根本原因は、夫婦の約束への疑いなのです。
クリスチャンの歩みでも似たようなことが起こることがあるのです。神様の一方的な恵み(決断)によって、神の子としていただいた私たちですが、救われた後も、罪を犯してしまいますし、自分の罪深さをより明確に自覚できるようになります。ここで、多くのクリスチャンが、「このように罪深い自分は、天国に行くことができないのではないか?」と神様の恵み(約束)を疑うようになってしまうのです。そこで、上の子どものように、良い行いを続けていれば、神様から見放されることはないと考えるようになってしまうのです。これが、それは律法主義への落とし穴なのです。
そして、その原因は「神様の無条件の愛」や「恵み」の約束を疑うことなのです。上の「養子」の例えから、この「疑い」がいかに間違っているのか、いかに不必要な考えであるのかを確認してみましょう!
ライフチャーチ 大谷信道


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