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2022年2月23日(水)
マタイの福音書 20章20-21節 20そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。21イエスが彼女に、「どんな願いですか」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
【ポイント】 ①あなたの願いは何ですか? 結論から言いましょう。「愛の関係を築くこと」以外を期待してイエス様(神様)に近づく人は、その関係性が変わらなければ、必ずいつか「失望・期待外れ」を覚え、心がイエス様から離れていくことになります。愛以外を目的として近づいてきた人と「愛の関係を築くこと(結婚)は出来ない」と思うのと同じです。
とは言え、多くの人は、何らかの「願望」「要望」があって、イエス様(神様)に近づくことでしょう。このこと自体は不健全なことでは全くありません。神様もあわれみをもってその人を迎えてくださいます。しかし、イエス様(神様)と出会い、その愛に触れた人の中には、自分が本当に求めていたもの、自分が本当に必要だったものは、神様との愛の関係であったことに気が付く人が出てくるのです。一方、いつまで経っても神様に近づく目的が「自分の願いを実現してもらうため」の人が大勢いることも事実なのです。つまり、この時点でのヤコブ、ヨハネとその母のように、そのような人の方が多いのが現実なのです。あなたとイエス様の関係はどのようなものでしょうか?
イエス様はこの現実について、はっきりと警鐘を鳴らされました。
マタイ7章13-14節 13狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
ヨハネの福音書14章6節 6イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
私たちが求めるべきは、イエス様(との愛の関係)なのです。そこに、いのちがあるのです。
ライフチャーチ 大谷信道