デイリーディボーション 2月23日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 2月23日(金)

2018年2月23日(金)

※週報がアップデートされていませんでした。今週の箇所は下の通りです。
(月) 7:24-25(火) 8: 1- 3(水) 8: 4- 6
(木) 8: 7- 8(金) 8: 9-11(土) 8:12-13

【通読】
ローマ人への手紙 8:9-11
9けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。10もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。11もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

【ポイント】
①聖霊の内住を信じる
聖霊が与えられているか否かについて「感覚的な確証」を求めるクリスチャンが多くいるようです。もちろん、その気持はよくわかりますが、確証を求めるという感覚の根底にあるのは「疑い」であることに気づく必要があります。聖書のみことばの約束を信じることができないので、みことば以外に確証を求めてしまうのです。一方、もし私たちが、イエス様の「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」ということばを「約束」として信じていれば、本当に自分に聖霊が与えられているか否かを詮索したくなるという欲求をコントロールすることができるはずなのです。つまり、自分に聖霊が与えられていないのではないかという不安や恐れを覚える時に、イエス様のみことばを読み、その約束を再確認することによって平安を取り戻すことができるのです。カルト的な教会は、この不安を上手に利用し、独特な雰囲気や祈り方などによって感覚的な確証を与えようとすることがあります。「◯◯先生に手をおいて祈っていただいたら…」というような、不健全な感覚の虜になってしまうのです。

私たちがよく知っている「主われを愛す」という賛美歌の英語の歌詞にはこうあります。 "Jesus loves me, this I know. For the Bible tells me so." 日本語に直訳すると「イエス様が私のことを愛していることを、私は知っているんです。なぜなら、聖書にそう書いてあるからです!」となります。素晴らしい証しですね。ところが、一般的な日本語訳は「主われを愛す。主は強ければ」ですよね。残念ながら、ある意味最も重要な「

聖書にそう書いてあるから

」という主の愛の根拠が抜け落ちてしまっているのです。

主の愛、聖霊の内住の確証を聖書のみことば、イエス様の約束に求めて行きましょう!

ライフチャーチ
大谷信道


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