デイリーディボーション 2月26日(火)

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デイリーディボーション 2月26日(火)

2019年2月26日(火)
ガラテヤ人への手紙 3:8-9 8聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。9そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
【ポイント】 ①「祝福」の意味を掘り下げる 今日の箇所、または聖書全体に見ることができる「祝福(幸せ)」とはどのようなものでしょうか。「信仰」とならび「祝福」も、間違って理解されていることが多い聖書の重要単語の一つだと思います。
その理由の一つは、聖書的な「祝福」ではなく、日本語の「祝福」ということばのイメージに影響を受けてしまうことだと考えます。この世では、金銭、健康、学業、仕事、家族関係、人間関係などが自分の願い通りにされるときに、人々は「祝福された」と感じるのではないかと思います。もちろん、聖書の中でもそのような出来事が「祝福」と呼ばれているケースがあります。しかし、聖書の「祝福」は、神様から与えられる幸せであるという点が、この世の「祝福」との大きな違いなのです。
さらに、聖書の祝福、その喜びの中心は「人が神様との正しい関係が築かれていること」にあるという点を絶対に忘れてはなりません。例えば、詩篇32編1-2節にはこのように記されています。「1幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。2幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」また、マタイ5章の山上の教えをみても、そこで教えられている「幸い」のすべては、神様との正しい関係を持っている人に与えられる幸せの約束であることが分かります。
ですから、私たちクリスチャンは、クリスチャンになる前に持っていた「この世的な祝福のイメージ」を捨て、イエス様に従うことによって与えられる「神様との正しい関係」に本当の幸せを味わっているのかを自己点検する必要があるということなのです。この「祝福(幸せ)」についての価値観が変えられないと、私たちの信仰は単なる「ご利益宗教」へと変質してしまう危険性があるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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