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2021年2月3日(水)
ペテロの手紙第二 2:3-10 3また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行なわれており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。4神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。5また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。6また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。7また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。8というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行ないを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。9これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。10汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対しては、特にそうなのです。彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。
【ポイント】 ①本当の問題は「偽教師」ではない。 その2 今日の個所から、聖書に正確に記されている神様のみこころ、キリストの福音を変え、「作り事のことば」を教えようとする行為に対し神様がどれほど厳しく望まれるのかが分かると思います。
昨日も学びましたが、神様の偽教師や異端的な教えに対する厳しさを知るべきなのは「偽教師」だけではありません。聖書を自分たちのことばで読むことができる私たち現代のクリスチャンは、自分で聖書から異端的な教えが間違いであることを確認することが可能なわけですから、その作業を怠り、人間的(この世的)に理解しやすい哲学や思想に影響を受けた教えや、この世的な欲望を満たすだけのご利益宗教的な教えなどに誘い込まれてしまったとしたら、私たちもその責任が問われることを知らなくてはならないのです。
誰かから「これは聖書的な教えです!」とか「これが神様の御心なのです!」と聖書や神様の名を用いて何かが語られたとしても、語っている人がとても良い人そうに見えても、熱心に語っていたとしても、それらが本当に聖書の正しい教えなのかを確認するまで、それらを100%信じてはならないのです。聖書に忠実に仕えている牧師・教師たちであっても、神様ではなく人間ですから、神様の意図とは違うメッセージを語ってしまう可能性があるのです。
「私は詐欺師です」と言いながら詐欺を働く人はいません。同じように、「私たは聖書に書いていないことを教えます。」という偽教師はいないのです。マタイ10章16節で、イエス様は弟子たちをこの世に送り出す際に「16いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」と教えられました。神様の純粋なメッセージに対しては「鳩のようにすなお」であることが大切ですが、不完全な存在である人間に対しては「蛇のようにさとく」あること、すなわち、しっかりと理性、知性を働かせ何が神様の前で正しいのか、そうでないのかをしっかりと見極めることが求められているのです。
ライフチャーチ 大谷信道