デイリーディボーション 2月7日(水)

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デイリーディボーション 2月7日(水)

2018年2月7日(水)

【通読】
ローマ人への手紙 6:17-19
17神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、18罪から解放されて、義の奴隷となったのです。19あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。

【ポイント】
①「奴隷」は支配される者
「奴隷」ということばに悪い印象を持っている人が多いことでしょう。しかし、新約時代のローマ帝国内での奴隷制度は、人種差別を伴うアメリカでの奴隷制度よりは緩やかなものであったと指摘する研究者が多くいるようです。もちろん、主人の倫理観によって奴隷の扱いは様々だったことが想像できますが、ローマ帝国での奴隷は現代のサラリーマンと大差ないもの(拘束時間や賃金などを比較すると)であったと指摘する研究者もいます。今後貧富の差が拡大していくと、現代の労働者がローマ時代の奴隷に増々近づいていくかもしれません。

ここでパウロが言わんとしていることは「奴隷」とは、自分以外の者から何らかの「支配を受けている者」というです。先程も触れましたが、ローマ時代であっても高い道徳、倫理を持ち合わせている主人は、貴重な労働力である奴隷を大切に扱っていたはずです。つまり、「奴隷」にとって重要な事は、何によって、または、誰によって支配されているのかということなのです。

パウロは、すべての人間が罪に支配され、罪を犯している状態を「罪の奴隷」と表現しました。ですから、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、罪の奴隷状態から自由にされた私たちは、神様の奴隷として、神様の愛の支配の中に生きることを勧めているのです。罪の奴隷から自由にされたと言っても、自分の好き勝手に生きるのではなく、神様の愛の支配を受け入れ、神様の導きの中に身を委ねる生き方を選ぶように教えているのです。

それでも「奴隷」という表現が気になる人がいれば、次の箇所を読んでみましょう。

ガラテヤ
5: 1キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。 5:13兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。

ここでの「自由」は今日の箇所での「義の奴隷」と同じ意味であることがわかりますね。

ライフチャーチ
大谷信道


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