デイリーディボーション 2月7日(火)

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デイリーディボーション 2月7日(火)

2023年2月7日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 9章22-24節 22ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。23それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。24神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
①神様の計画を理解する 出エジプト記20章6節には「6わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」と記されています。「恵みを千代にまで施す」ことが「祝福」であるとしたら、神様の祝福を受けるために必要なことは「わたし(神様)を愛し」「わたし(神様の)命令をまもる」ことであることが分かります。
旧約時代の預言者たち、そしてイエス様が指摘されたユダヤ人(イスラエルの民)の問題は、人々が「わたしを愛し」の部分を忘れていたことです。これは、パリサイ派の人々だけでなく、サドカイ派の人々も、自分たちの教えや思想には熱心に取り組んでいましたが、一番大切な「神様を愛する」という部分が欠落していたのです。パリサイ派の人々は律法と律法の教師たちの教えを守ることを熱心に教えていました。神様のみことばである律法を大切にしていることは明らかでしたが、神様の目には、それらの行いが、神様への愛とは映らなかったのです。
夫婦や家族の愛を例にして考えれば簡単なことです。家庭において父や母が「家族のため」と言いながら、一生懸命働いたとしても、配偶や子どもに「愛」として伝わっていなければ、そこには夫婦、親子としての愛の実は結ぶことがなく、そこに幸せはありません。このようなすれ違いは、実際の家庭でも、映画、ドラマ、小説などでも見ることができますね。「熱心さ」は、その目的、方向性がずれてしまうと、相手への愛ではなくなってしまうのです。
ところが、的外れな「熱心さ」の結果、夫婦・家族関係が崩壊し始めた時に、人は「熱心さ」だけでは駄目であることに気が付く場合があります。自分は家族のために一生懸命働いてきたけれども、家族を幸せにすることができなかった事実に直面するときに、自分の的外れに気づくのです。パウロは、神様との関係において「律法の行ない」への熱心さだけでは、神様を幸せにすることができない(神様を喜ばせることができない)こと、自分の行いが完全に的外れだったことに気づいたのです。
神様は人間を愛し、その愛を受け取った人間が、応答として神様を愛することを求められているだけなのです。福音をあまりにも単純化することは良くないことなのですが、福音が福音であるのは、そこに神様の愛、あわれみ、恵み、赦しが明らかにされているからなのです。この1点が抜け落ちた聖書の教えは、空しいものになってしまうのです。
ヨハネの福音書3章16-17節 16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
ライフチャーチ 大谷 信道


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