デイリーディボーション 2月7日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 2月7日(金)

2020年2月7日(金)
テサロニケ人への手紙 第二 1:4 4それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
【ポイント】 ①信仰の成長=迫害や患難を耐え忍ぶこと テサロニケの教会の「迫害と患難」については、使徒の働き17章からその一部を知ることができます。「5 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。『世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。』7それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。8こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。」
ここで忘れてはならないことは、パウロたちが去った後も、テサロニケのクリスチャンたちは、暴動を起こしたユダヤ人たちと同じ町に住み続けなければならなかったという事実です。自動車のような移動手段も、公共交通機関もない1世紀のテサロニケでは、礼拝の場所を遠く(徒歩圏外)に移すことも不可能だったでしょう。実際、彼らはテサロニケにとどまり、集まり続けていたのです。
イエス様は、私たちクリスチャンが迫害や患難で信仰が試されると教えられています。「20また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。21しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」(マタイ13章)
テサロニケのクリスチャンたちは、迫害や患難の中でも、昨日学んだように「あなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。」というような歩みを続けていたのです。ここに、パウロのは喜びを覚えているのです。
「みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる」状態で止まっていることはありませんか? 一時的な喜びばかりを求め、主のための患難や困難から目を背けていることはないでしょうか。自分が負うように求められている「十字架」が何であるのかを、しっかりと考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷 信道


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