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2021年2月8日(月)
ペテロの手紙第二 3:1-2 1愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。2それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。
【ポイント】 ①初心忘るべからず ペテロの手紙やキリスト教の歴史を学んだり、現代のキリスト教界を見渡したりして分かることは、未信者だけではなく、正確な福音を聞き、信仰決心をしたクリスチャンも「偽教師」や「異端」に騙されてしまうことがあるということです。今日のペテロのメッセージも、そのようなクリスチャンたちに対していることがよく分かります。そのメッセージとは、ペテロの手紙を読む者が「記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせる」ことであり、「主であり救い主である方の命令とを思い起こさせる」ことです。
ここから、私たちクリスチャンが遭遇する可能性がある落とし穴を見ることができます。それは、「イエス様の愛を忘れること」「初心を忘れること」だと思います。「初心忘るべからず」ということわざが存在しているということは、私たち人間は誰でも、何か新しい歩みを始めたり、チャンスを与えられたりした時の「純粋な決心」「奮い立たされた心」をいとも簡単に忘れたり、与えられたチャンスを当然のことと考えるようになったりする生き物であるということなのです。例えば、習い事、部活動、進学、就職、転職、結婚、出産どのような場面においても、当初の決意、喜び、感謝を忘れてはいないでしょうか。同じように、信仰決心、救い、罪の赦し、神の子とされること、永遠のいのち、神様の変わることない愛などについて、日々新鮮な喜びを覚えながら歩むことができているでしょうか。それとも、イエス様の愛も、救いも知らなかった時に感じていた欲求不満や不安の中に戻ってしまっていることはないでしょうか。
救われる前のような状態に戻ってしまったり、感謝が薄れてしまったとしても落胆したり、自分を責めたりしてはなりません。なぜなら、それはどのクリスチャンにも繰り返し起こる現象だからです。信仰面で不調を覚える時には、自分だけが不信仰に陥っているのではないかという感覚を覚えるかもしれません。しかし、そうではないのです。すべてのクリスチャンが信仰(感情)の浮き沈みを覚えながら地上で生きているのです。
ただ、その状態を放置したり、クリスチャンになる前のように、自分の欲求や欲望を満たすという間違った方法で心の平安や安定を取り戻そうとしてはなりません。私たちは聖書に、そして今日の使徒ペテロの励ましに耳を傾けるのです。
ライフチャーチ 大谷信道