デイリーディボーション 2月8日(木)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 2月8日(木)

2018年2月8日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 6:20-23
20罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。21その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。22しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。23罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

【ポイント】
①「神様の愛への応答」以外に問題解決の方法はない
パウロはこれまでの話しを23節でまとめています。「23罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」人間の罪の問題は律法によって解決できないということなのです。そもそも、律法は罪の解決の手段として与えられたものではありませんでしたね。人間が自分の努力で罪の問題を解決できないことは、神様が一番良く知っているからです。神様がアダムとエバに与えられたルール(戒め)を覚えているでしょうか。神様は「16あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16-17)と言われました。ですから、神様は(聖書を読む人すべての人も)、アダムとエバが神様から与えられた「死」を伴うルール(戒め)を破ってしまったことを知っているのです。

本来、律法をしっかりと守って行きたいと願うひとすべてが気付かされることは、自分の罪深さ、不完全さに他なりません。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3:23)、そして「罪から来る報酬は死です」(6:23)、ということに気づくのです。そして、その事実に直面し認める者は、神様に赦し、憐れみ以外に道がないこと、イエス・キリストの恵み以外に救いがないことに気が付くのです。これが信仰なのです。

ガラテヤ3:22-24
22しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。23信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

アーメン

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info