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2022年2月9日(水)
マタイの福音書 13章3-9節 3パリサイ人たちがみもとにやって来て、イエスを試みて、こう言った。「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」4イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、5『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。6それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」7彼らはイエスに言った。「では、モーセはなぜ、離婚状を渡して妻を離別せよ、と命じたのですか。」8イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。9まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。{そして離縁された女を妻とする者は姦淫を犯すのです。}」
【ポイント】 ①結婚の理想と現実の狭間で生きるために 結婚だけでなく、イエス様の命令である隣人愛の難しさは、相互の愛によって実を結ぶという「愛」本来の性質にあります。つまり、イエス様の命令の通り、隣人に愛を注いだとしても、相手がその愛を受け取り、自分を愛することを決意し、自分と相手の間に愛の関係が成立するとは限らないからです。この点は「信仰」「救い」についても全く同じことが言えます。地上には天国に行きたい人、神様から祝福を受けたい人は数えきれないほどいるわけですが、神様の愛に気づき、愛を受け入れ、神様を一番に愛する決意をする人は決して多くないのです。
ただ、神様との愛の関係については、神様は私たちを完全な愛をもって愛してくださっているので、自分が神様を愛する決心をすればそこに愛の実結ばれます。つまり、自分の決意・信仰によって愛の実が結ぶわけです。しかし、結婚についてはそうではありません。相手は神様ではないので、相手の愛が不純なものであったり、未熟なものであったとしたら、そこに愛の実が結ぶことはないのです。
ですから、残念なことに、結婚の前提となっている「相互愛の約束」が破綻してしまえば、神様の目には結婚が破綻しているケースが多数あるわけです。これが、地上の結婚の現実です。イエス様は、妻が不貞(不倫)したのであれば、妻が相互愛の命令を破ったことになるわけで、神様の結婚の理想(御心)とは違うが、離婚はやむを得ない、しかし、だからといって相手を自由に離縁できるわけではないと釘を刺されたのです。
現代人への適用としては、妻だけでなく、夫が不貞を働いた場合も、離婚という選択肢があるということだと思います。さらに、「相互愛の関係の破綻」が離婚の根拠になるのであれば、相手からの肉体的・精神的な暴力、無視・無関心なども離婚の原因と考えることもできますね。しかし、それ以外の自分勝手な理由で相手と離婚することは神様の前で正しい行為とは言えません。
結婚についてはイエス様から学ぶべきポイントがたくさんありますが、続きは明日にします。
ライフチャーチ 大谷信道