デイリーディボーション 3月8日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月8日(金)

2019年3月8日(金)
ガラテヤ人への手紙 3:26-29 26あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。27バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。28ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。29もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
【ポイント】 ①「キリストを着る」 ユダヤ教の儀式の多くは「霊的な領域で起きていることの象徴」です。例えば、清めの儀式に用いられる動物の血や水は、その物質自体に清めの効果があるわけではありません。または、特別な儀式によって物質が変質し、人を清めているわけでもありません。常に重要な点は、儀式を受ける者の悔い改めであったり、神様への信頼です。
ユダヤ教のバプテスマについても同様のことが言えます。イエス様の時代、異邦人がユダヤ教に改宗する際に、改宗者にバプテスマを授け、その後に新しい衣服を着せたと言われています。つまり、古い自分に死に、ユダヤ人として生まれ変わり(ユダヤ人と同一化し)、新しい人生を始めるという異邦人の決心、信仰という目には見えない霊的な領域を目で見える形で表現したのがバプテスマであったのです。
イエス様の名によるバプテスマは、ユダヤ人のバプテスマの延長線にあることを忘れてはなりません。イエス様の名によるバプテスマも、私たちの信仰、つまり、イエス・キリストを救い主として信じ、古い自分に死に、キリストと同一化し、神の子として新しく生まれ変わることの目に見えるかたちでの表現なのです。恐らく初代教会では、ユダヤ教の慣習を引き継ぎ、水から上がったクリスチャンに新しい衣服を着せていたのだと思われますが、それは霊的に意味でイエス様を着て、イエス様と共に歩む決意の証だったと思われます。
ここに昨日までの文脈を合わせると、イエス・キリストを着て、イエス・キリストと共に歩む者は、もう「養育係」である律法は不必要になったということなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info