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2021年3月1日(月)
ヨハネの手紙第一 2:1-2 1私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。2この方こそ、私たちの罪のための――私たちの罪だけでなく、世全体のための――なだめの供え物です。
【ポイント】 ①「弁護する方(キリスト)」を信頼する 「良い子にしていなければ親から愛されない」そのような不安を潜在的に持っている子ども(大人)は少なくありません。親はそのように考えていないとしても、親の期待に沿えないと100%愛してもらえないと思い込んでいるケースもあるのです。
この間違った親子関係の感覚は、天の父である神様との関係に大変大きな影響を与えてしまうのです。つまり、神様の命令(律法)を完全に守っていなければ、神様の愛を受けることができないと考えているクリスチャンは少なくないのです。さらに、牧師の中には、人々が持っている潜在的な不安を利用して、伝道や教会形成を行っている人もいます。神様から罰を与えらえる恐怖、神様から見放される恐怖を利用すると、その恐怖に動かされて信仰決心をしたり、神様から裁かれないように奉仕や献金に熱心になる人が出てきますので、伝道も教会形成もスピーディーに進みます(この手法で多くの新興宗教が信徒の数を増やしていますね)。
しかし、まことの神様は人々を恐怖や不安によって支配されることを喜ぶ方ではありません。神様は私たちを愛し、私たちがその応答として神様を愛することを望まれているのです。そして、私たちは、神様からいただいている愛の応答として、神様の喜ばれる生き方を選び取っていくわけです。繰り返しになりますが、そこにあるのは「恐怖」「不安」ではなく、「愛」「喜び」なのです。
その歩みのカギは、弁護者であるイエス様です。昨日の礼拝の中でも学びましたが、私たちは一生かけても罪を犯さない完全な生き方を獲得することはできないのです。そもそも、それができたら、私たちには救い主イエス・キリストは必要ないということになるのです。ヨハネは今日の個所で、その事実を改めて手紙の読者に伝えているのです。
私たちは、神の子として、愛の応答として罪を犯さない生活ができるように努力をします。しかし、罪を犯さないようにどれだけ努力したとしても、罪を犯す者なのです。しかし、神様は忍耐強く私たちを赦し、導いてくださる方であることを忘れてはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道