デイリーディボーション 3月1日(木)

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デイリーディボーション 3月1日(木)

2018年3月1日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 8:23-25
23そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。24私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。25もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

【ポイント】
①聖書が教える「希望」について知る
使徒パウロは1コリント13章で「13こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」と教えています。つまり、「信仰」「希望」「愛」ということばは聖書の中でもっとも重要な語句であるということです。にもかかわらず、わたしの自分の経験、牧師としての経験からの個人的な意見ですが、これら「信仰」「希望」「愛」ということばこそ、最も正しく理解されていない語句のトップ3のような気がしています。たった3つの最重要語句が正しく理解できていないとしたら、それは極めて深刻な事態だと思いませんか?

それでは今日の箇所に出てくる「希望」について、正しく理解できているのか、自分の勝手なイメージや先入観にとらわれていないか確認してみましょう。パウロが語っている「希望(望み)」を一語で言うとしたら何でしょうか?そうですね。「キリストの再臨」です。例えばピリピ人への手紙3章を見てみましょう。「20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」霊的な意味での「救い」「贖い」は既に実現していますが、私たちのからだの完全な「救い」「贖い」は、イエス様が再び来られる時に完成するのです。私たちクリスチャンの希望はそこにあるのです。

このことを理解した上で、もう一度今日の箇所を読んでみましょう。「希望(望み)」の本当の意味をはっきりと理解できるはずです。

ライフチャーチ
大谷信道


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