デイリーディボーション 3月1日(金)

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デイリーディボーション 3月1日(金)

2019年3月1日(金)
ガラテヤ人への手紙 3:14-16 14このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。15兄弟たち。人間の場合にたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。16ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。
【ポイント】 ①「約束」を信じる 「信仰」の意味を考えてくことの大切さはこれまでも繰り返し学んできました。イエス・キリストを信じるとは、聖書に記されているイエス様の福音が真理であることを頭で理解することだけではありません。イエス・キリストを個人的に信頼し、愛し、従うことです。
実は、今日の箇所に出てくる「約束」も、私たちの信仰を理解する上で重要なキーワードです。なぜなら、先に確認した「イエス・キリストを信頼すること」とは、具体的には「イエス・キリストの約束を信じること」でもあるからです。例えば、マタイ16章24-25節のイエス様のみことばはどうでしょうか。「「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」イエス様はご自分に従う者は「いのち」が与えられることを約束されています。私たちは、このイエス様の約束を素直に信じるのです。たとえどのような疑問や不安を感じたとしても、この約束に何かを足したり、引いたりしてはならないのです。
しかし、クリスチャンの中には、「そんな簡単に永遠のいのちを手に入れられるはずがない」と、イエス様の約束に「律法の行い」を足してしまったり、「永遠のいのちは欲しいけど、すべてを捨てて従うのはちょっと…」と「イエス様への服従」の部分を引いてしまったりする人がいるのです。これらの現象は、イエス様の約束を信頼できないことに原因があるのです。私たちが約束を信じられないでいたとしたら、イエス様はどのような思いになるのでしょうか。よく考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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