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2021年3月12日(金)
ヨハネの手紙第一 2:21-27 21このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。22偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。23だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。24あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。25それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。26私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。27あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。
【ポイント】 ①キリストを抜きとれば、簡単に新興宗教のできあがり 世の中では「後だしジャンケン」的な方法で、優れた製品やサービスのアイディアを真似し(盗み)、自社の製品に取り入れることは当然のこととなっています。ですから、企業は特許などを申請し、自分たちのアイディアが盗まれないように最善を尽くしつつ、盗まれた場合にも訴訟を起こすなどすることができます。ところが、宗教の場合はそうは行きません。信仰の自由、言論の自由という観点から、自分たちの宗教の真似をした相手を公の場で訴えることは難しいでしょうし、新興宗教に入信する人は、工業製品を比較検討して選ぶように、各宗教を比較した上で一つの宗教に決めるわけではないので、自分が聞いた教えが「オリジナル」であると信じてしまっていることでしょう。
イエス・キリストの名を語らずに、「愛の神様」「神様の愛」について教える宗教や思想がたくさんあります。聖書の教えから、人々が抵抗を覚えたり、つまずきを覚えたりする要素を抜き取り、より洗練され、より普遍的に聞こえる教えを作りだすことは極めて簡単なことです。そして、先に述べたように、人々はそれが聖書(キリストの福音)からの盗用であることに気が付くこともありませんし、聞いた教えが素晴らしければ、それがオリジナルであるか否かを気にする人も少ないことでしょう。
しかし、もしイエス・キリストが現れていなかったとしたら、人類は真の神様について、その神様の愛と恵みについて、知らないままでいたはずなのです。現代では「無償の愛」というキリストによって明らかにされた純粋な愛についての知識が一般化し「常識」になってしまっています。それが誰によって明らかにされ、証明されたのかを考えもしないことでしょう。新興宗教の教祖の中には、自分の教えている愛のベースが聖書であることに気づいていない人すらいるかもしれません。
ですから、私たちクリスチャンは、イエス・キリストが抜け落ちた教えが広められること、または、そのような教えが教会の中に入り込むことについて常に注意する必要があるのです。なぜなら、キリスト以外に神様の本当の姿を明らかにした者はいないからです。
ヨハネの福音書 14章6節 6イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ライフチャーチ 大谷信道