デイリーディボーション 3月13日(火)

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デイリーディボーション 3月13日(火)

2018年3月13日(火)

【通読】
ローマ人への手紙 9:10-13
10このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。11その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、12「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。13「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

【ポイント】
①「神様の選び」の意味を理解する
私たち異邦人は、「神様の選び」ゆえに神の子とされました。ルカ15章の「放蕩息子と兄」のたとえで言えば、私たちは放蕩息子です。つまり、天の父の憐れみ、恵みを十二分に受けている感謝と喜びを感じ取ることが比較的容易です。一方、ユダヤ人は放蕩息子の兄ですから、天の父の選びに「不公平さ」を覚え、腹を立てているのです。「なぜ、アブラハム、イサク、ヤコブの直接の子孫であり、モーセの律法を忠実に守っている(本当は守れていないのですが)自分たち退けられ、異邦人が義とされるする『イエス・キリストの福音』など受け入れることはできない!」と怒っているのです。

ここでパウロに求められている事は、旧約聖書を無視して、自分勝手な論理建てによる説明ではありません。イエス・キリストの福音が旧約聖書の内容と一切矛盾することはなく、神様の約束が反故にされたのでもないということを、旧約聖書から正確に説明することでした。

今日の箇所のポイントはこうです。アブラハムとサラに与えられるとされた約束の子どもであるイサクには「ふたご」の息子、エサウとヤコブがいました。(創世記24:25)この「ふたご」は、サラから生まれたイサクとハガルから生まれたイシュマエルの兄弟と違い、ともにイサクと本妻であるリベカに与えられた子どもです。つまり、ふたりとも約束の子どもだったわけです。先に母の胎から出てきのはエサウであり、当時の風習に従いエサウに長子の権利(イサクの相続者)が与えられていました。しかし、神様は人間のしきたりによってではなく、ご自分の選びによって、弟とされていたヤコブを相続者として選ばれたのです。

「ヤコブは兄と父を騙して長子の権利、祝福を奪い取ったのではないか?」と疑問に思う人もいるかもしれません。しかし、私たちは神様の承認、許しがなければ、そのような重要な変更が行われるはずがないことを知らなくてはなりません。もし、神様がヤコブを選んでいなければ、エサウから長子の権利が奪い取られることはなかったのです。神様はヤコブの人間的な策略に騙されるような方ではないのです。

ユダヤ人は自分たちはアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であることを誇りにしていました。ということは、神様のヤコブの選びを肯定していることになるわけです。ですから、パウロは神様が異邦人をご自分の器として選ばれることは決して聖書に矛盾することではないということをユダヤ人たちに説明しているのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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