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2022年3月15日(火)
マタイの福音書 21章28-32節 28ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『{子よ。}きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。29兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。30それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。31ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。32というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。
【ポイント】 ①天の父との愛の関係がすべて 今日の個所で「ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう」というイエス様の質問があります。しかし「父の願ったとおり」とは何でしょうか?この点を勘違いしてしまうと、イエス様の真意を理解することができないと思います。
結論から言うと、父の願いとは、息子が父に従順であることです。しかし、それは素直に父の言いつけを聞き働いたという意味ではないと思います。つまり、「働いた息子」が良い息子で、「働かなかった息子」が悪い息子という意味ではないということです。
父が息子たちにぶどう園で働いてほしいと頼んだのは、人手が足りなく困っていたからに違いありません。弟は父の依頼を拒絶しましたが、後になって「悪かったと思った」わけです。弟は「お父さんは困っているのだろうな」と、父の気持ちを理解し、その気持ちに応えたということです。つまり、弟は父への愛によって動かされたということなのです。ポイントなのです。神様が大切にされるのは、表面的な言動ではなく、愛の関係なのです。
その視点からすると、イエス様の頭の中で思い出していた取税人や遊女のほうが、天の父の愛に応え、天の父を愛する者であったということなのです。
私たちと天の父の関係はどうでしょうか?
ライフチャーチ 大谷信道