誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2021年3月16日(火)
ヨハネの手紙第一 3:1-3 1私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。2愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。3キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
【ポイント】 ①神様の素晴らしさを知る 心理学的にも、恐らく医学的にも親の愛を十分に受けている子どもは、情緒が安定し、心身ともに健全に成長していく傾向があることが知られています。別の言い方をすれば、神様は人間を愛によって安定し、成長するものとしてデザインされ、創造されたということです。
しかし、非常に残念なことに、「愛」の重要性についてクリスチャンを含む多くの人が見過ごしているか、無知なままでいるのです。つまり、「子どもを愛する」ことの具体的な声掛けや行為について真剣に考えたり、自分の愛情がどれだけ伝わっているのかを考えたりする人が少ないのです。自分の気分がいいときには、子どもを可愛がるけれども、そうでないときはつらく当たったり、馬鹿にしたり、無視したりする親も少なくありません。子どもが自分の期待に応えたときは優しく接するけれども、そうでないときは冷たい態度を見せる親もいることでしょう。親の愛情表現に一貫性がないと、子どもは不安(不安定)になります。また、親から愛されたいと根源的な欲求がありますから、それが満たされないと感じる時に、親から愛されるためにどのようにしたら良いのかを考えるようになったり、親の顔色をうかがったりすることが常態化してしまいます。
親子関係の中で「愛によって心が満たされる」「一貫した愛の中で平安を覚える」という実体験がない人は、天の父である神様との関係においても「神様の愛で満たされること」「神様の愛によって平安を得ること」がどういうものなのかを想像できない人が多いように感じています。気まぐれな親の愛しか知らないので、変わることがない神様の愛を想像し、信じることができない人がいます。神様の期待に応えられなかったら神様からも嫌われてしまうのではないかと言う不安の中で、必死に頑張っているクリスチャンも少なくありません。
ですから、私たちは神様の私たちに対する変わることがない愛について、罪深く、不完全な私たちを受け入れてくださる神様の愛について、知り、信じることが重要なのです。神様の愛を信じ、受け入れる時に、これまで経験したことがないような平安(安心感、リラックスした感じ、自由な感じ)、喜びが与えられることを知らなくてはならないのです。「神様に愛されるために頑張る」というような見当違いな信仰生活から解放されなければならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道