デイリーディボーション 3月17日(金)

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デイリーディボーション 3月17日(金)

2023年3月17日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 10章16-21節 16しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。17そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。18でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」19でも、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者のことで、あなたがたのねたみを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」20またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした。」21またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」
①神様の計画は最初から変わっていない。 天地創造から神様の計画は変わっていません。神様は、その計画はアブラハムにも明らかにされました。創世記12章1-3節を見てみましょう。
1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
イエス・キリストによって、3節の「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」の「祝福」とは、人間がまことの神様の存在を知り、その愛を受け取り、神様との愛の関係の中に歩むことであることが明らかにされました。
しかし、ユダヤ人、そしてクリスチャンまでもが「祝福」について勘違いする(的外れになる)という出来事が繰り返され、今日に至っています。残念なことに、異教徒だけでなく、神様のみことば預かったユダヤ人、そしてイエス様の福音を信じたクリスチャンでさえも、「祝福」とは「自分の世欲求が満たされている状態」だと勘違いし、様々な形で自分の欲求を満たすために神様を利用しようと試み続けしまっているのです。この欲求とは、決して金銭に対する欲望、性的欲求を満たしたいという欲求など、分かりやすい肉的な欲だけではありません。信仰のレベルにおいて他者よりも上に立ちたい、偉くなりたい、尊敬を集めたいというような、一見すると信仰熱心な者に見えるけれども、他者との比較や競争に勝ちたいという欲求を満たすことに一生懸命になっている人は少なくないのです。
神様はご自分の計画を必ず実現される方ですから、神様の計画の実現について不従順な者を退けられ、従順な者を用いられます。神様の計画の実現ではなく、自分の欲求を満たすことを優先させるユダヤ人たちを退けられ、ユダヤ人以外の人間を用いられることに何の不思議もないのです。ここで勘違いしてはならないことは、神様は、その人が「ユダヤ人である」という理由で退けられるのでも、異邦人だから用いられるのでもないということです。神様は、最初から今日に至るまで、神様を愛し、神様への愛の応答として、神様に従順に生きる人たちをご自分の計画の実現のために用いられているだけなのです。
さらに、見落としてはならない点は、神様は不従順な者たちを見捨てるようなことはせず、繰り返し預言者を通して、そして最終的には御子イエス様を通して語りかけ、寛容と忍耐をもって導かれる方であるということです。神様は、差別も不公平もなさらない方だからです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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