デイリーディボーション 3月18日(金)

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デイリーディボーション 3月18日(金)

2022年3月18日(金)
マタイの福音書 21章33-36節 33もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。34さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。35すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。36そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
【ポイント】 ①神様の視点で考える想像力を養う 「信仰」と「想像力」は極めて密接な関係があります。創世記1章26節に「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」とあるように、被造物の中で人間だけが神様に似せて造られた存在です。と言うことは、「人間ー動物」という引き算をしたときに残った部分こそが神様に似た部分となるわけです。その残った部分の1つが「想像力」なのです。そして、私たちはこの想像力をもって「永遠」を思ったり(伝道の書3:11)、見えない神様の姿を考えたり、愛したりすることができるのです。もちろん、「神こそが想像力の産物ではないか!」と反論される方もいることでしょう。しかし、客観的に地球の生物界を観察する時に、論理的な思考ができる人であればその誰でもが、人間だけが他の生物と全く違うことは極めて不自然であるという結論に達するはずです。聖書はその理由について極めて明快にその答えを提示しているのです。
イエス様は今日の個所でも「たとえ話」を用いて語られています。その理由は、当時の人々の「想像力の欠如」だと思います。「神様の思い」「神様の気持ち」を想像することができないので、別のたとえを用いて、人々が神様について想像する手伝いをされているのです。人々は、目の前に提示される宗教の教え(律法)、宗教行事(伝統・風習)などには熱心に取り組んでいましたが、想像力を必要とする神様との個人的で、親密な関係を深めることが全くできていなかったのです。
現代に生きる私たちも同じです。自分の目の前で起きている出来事、世界で起きている出来事、その全てについて神様がどのように思い、どのように感じているのかを想像しているでしょうか。想像力が欠如した私たちのことをよくご存じの神様は、イエス様を世に遣わして下さいました。イエス様のことばと行動を通して、私たちは神様が愛に満ちた天の父であることを教えてくださったのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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