デイリーディボーション 3月20日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月20日(水)

2019年3月20日(水)
ガラテヤ人への手紙 5:3-4 3割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。4律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
【ポイント】 ①律法の行いの努力に「義」も「恵み」もなし 律法は神様の聖さを知るために、そして自分の罪深さを知るために不可欠なものです。ですから、ユダヤ教徒だけでなく、私たちクリスチャンにとっても旧約聖書全体が神様のみことばなのです。
しかし、それは私たちイエス・キリストを信じるものが律法全体を完全に実践することが求められていることを意味しているわけではありません。むしろ、パウロはそのようなことはクリスチャンも、そしてユダヤ人も不可能であると教えているのです。律法の完全に行いたいと思う者は、かならずそれが不可能であることに気がつくはずなのです。昨日学んだとおり、律法の遵守が不可能でないと考えている人は、嘘つき、偽り者なのです。神様の前に正直さ、誠実さを保っている人は、自分が滅びるだけの存在であることに気が付きますから、必ず神様に赦しと救いを求めるようになるはずなのです。
そして、神様は救い主イエスキリストを与えてくださったのです。聖書はこれを「恵み」と呼んでいます。神様がせっかく「恵み」をくださっているのに、律法の行いによる義を求めることは、神様を無視することですし、与えられている「恵み」を捨てることになるわけです。神様が恵みを奪い去られたのではなく、自分で神様の恵みを捨て、無にすることになってしまうわけです。
ですから、私たちクリスチャンは、自分たちの努力とは関係ないかたちで、神様のあわれみゆえに、無償で与えられている「恵み」の価値、素晴らしさを絶対に忘れてはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info